糖質制限

健康的な食事といえば、あらゆる食べ物をバランスよく取り入れる事だと信じていた僕が、実はその答えは100点ではないと知ったのが今から三ヶ月ほど前のこと。

 

バナナダイエットやら、豆腐ダイエットといった特定のものを多く摂取する事が愚かな行いであることのように。

 

特定のものを食べないようにする、というのも愚かな行いであるといった固定観念があったが、今現在の僕はお米を食べる健康的メリットは無いと考えている。

 

お米だけでなく、小麦粉や乳製品、果物も同じく、健康的デメリットを超えるメリットはない。

 

こういう思想の人間を糖質制限主義者と呼ぶわけだが、僕はまさしく糖質制限主義者であり、キャリアは三ヶ月ほどとなる。

 

糖質制限の良さをここで語るつもりはない、むしろ語りたいのは辛さである。

 

まず、日本の文化が糖質制限主義者に対して排他的であり、ありとあらゆる場面で白い粒々をくっ付けてくる。

 

そしてそれを拒むと、周囲から驚きのリアクションを獲得でき、かくかくしかじかでと説明責任を果たさなければならない。

 

ストイックであるとか、味気ないとか、宗教じみている等のご意見をいただくが、全くもってその通りだと客観的に見れるほどに本人は冷静である。

 

しかしながら知ってしまったものは仕方がない、少なくとも僕は理論に納得して有用性を理解できた。

 

すると途端に世界が変わり、今まで普通に食べてきたものに対して罪悪感を抱くことになる。

 

不味いと感じるようになってくれればどれほど楽だろうか、特に僕は甘党なわけで、ストイック加減はひとしおである。

 

しかしながら後悔はない、結果が伴っているから。

 

体内年齢はこの三ヶ月で7年巻き戻り、ズボンのサイズは9cmも落ちた。

 

具体的にどれくらい健康になったのかを図るすべは持たないが、実感として体調が良いというのが大きい。

 

日頃から定食でご飯いりませんコールを行い、お酒も焼酎に切り替え、コーヒーもブラックに、麺類も選ばず、スイーツもたまのご褒美に。

 

以前の僕ではありえない食生活がこの数ヶ月実施されている。

 

ここまで出来てしまうのも僕の、やるなら徹底的に、という性分の賜物だろう。

 

今後も誰になんと言われようとやめるつもりはないが、経済的な負担は顕著であり、工夫を強いられるという辛さが僕の今のトレンドである。

 

さて、今日もご飯無しでよろしいんですね?と聞かれてこよう。

 

現在貯蓄:5万

TOEIC:0点

体内年齢:22歳

大いなる吉に便乗

初詣に行った際、おみくじを引き、実に四年ぶりに大吉を引いた。

 

今まで、末吉や小吉といったパッとしない年初めであったが、今年はパッとしそうである。

 

しかも二か所の神社で引いた両方のおみくじが大吉だというから今年はパッパッとしそう。

 

このブログでは2017年度中に100万の貯蓄を実現する事を謳ったが、それだけではこのパッパッ状態が勿体無い気がする。

 

そこで自分にノルマを課せるだけ課してみようとおもう。

 

この近年稀に見るパッパッ状態なら全て気付いたから叶っている可能性も否めない。

 

まず第1ノルマ、100万貯蓄達成。

第2ノルマ、TOEIC730点突破。

第3ノルマ、体内年齢20歳で2018年を迎える。

上記目標を掲げる事としよう。

 

ちなみに体内年齢測定は我が家にある体重計で測定するものとする。

 

この体重計は、実は君は年上と付き合っているのだよ、と教えてくれたすぐれものである。

 

さて、これだけ掲げておけば大吉二つ分の元はとれているのではないだろうか。

 

大吉の元を取るという底の浅い発想について、天上の方々がどう感じるのかはさて置いて、この好機を最大限に活かそうと、そう思うのである。

 

現在貯蓄:0円

TOEIC:0点

体内年齢:22歳

形容詞あるあるゲーム

先日、旧友との会合の場にて、突発的に思いついたゲームがある。

 

表題の通り、ジャンケンで勝った人間が形容詞を一つ決めて、残りの人間がその形容詞に最も相応しいと思う名詞を答えるというもの。

 

そして全員分の名詞が出揃ったところでいっせーのーでで各人誰かに指を指す、指された数の多い人間が最もお題の形容詞に相応しくない名詞を言った人間となる。

 

一見シンプルな民主主義的ゲームに見えて実は見えない要素が存在するのがこのゲームの真髄といえる。

 

微妙な間や、言い方、その人のイメージ、流れ等々。

 

突拍子も無い事を言ってしまうとアウトになるが、あまりにも面白みがないと逆に評価が下がるというバランス性もある。

 

例えば「悪い」というお題に対して、犯罪と答えた人間はアウトとなったが、「優しい」というお題に対しておふくろの味と答えた人間は評価された。

 

何が正解なのかはその時の空気に依るところが大きく、曖昧なもののように思えるが、実際このゲームと似たような事は日常に溢れている。

 

大人達は常に目に見えない物差しでセンスを測りあい、心の中で指さしゲームをしている。

 

そして指を指される事を恐れるがあまり、自分の意見ではなく空気を答えるようになる。

 

空気を吐く人間など、呼吸しているだけと変わらないし、呼吸をしてるだけの人間と話す事は独り言と変わらない。

 

しかし残念なことに、社会人になってからのほとんどが独り言で、相手にもきっと独り言を言わせてしまっている。

 

僕はこのゲーム無敗であるが、社会的には呼吸をするために呼吸をしているだけの、ただの植物人間となってしまっているのではないだろうか。

 

このままでいいのだろうか。

 

なんのために呼吸をしているのか、その目的を勝ち取らなければならない。

 

行動を起こそう、その時初めて僕は植物を卒業し、社会的哺乳類へと進化を遂げるのだから。

 

現在貯蓄:0円

マシュマロテスト

世の中には自分が好きな食べ物は最後までとっておく人間と最初に食べる人間がいる。

 

僕はもっぱら最初に食べる人間であるが、マシュマロテストの趣向から考えるに、僕はパリピではないだろうか。

 

マシュマロテストとはお腹を空かせた、いたいけな子供に対して、ここにあるマシュマロ一個を君にあげよう、ただし、15分食べるのを我慢できたらもう一個あげようという鬼畜実験である。

 

見事我慢しマシュマロを二個獲得できたちびっこ達は将来的に成功する可能性が高いらしいのだが、僕は見ず知らずの人間からもらったマシュマロをなんの考えもなく食べる子供が出世するとは到底思えない。

 

しかしながら仮に自分がそのテストを受けたとして、間髪置かずに、なんなら説明途中に食い気味でもらったマシュマロを食べたであろうと想像に難くない事は、少なからず僕の人生に暗い影を落としている。

 

さて、先ほど自分はパリピではないだろうかと述べたが、ここでいうパリピとは自分の欲望に素直過ぎるほどに素直な性分という意味であって、夜な夜なディスコで体をくねらせて、語尾にうぇーぃと付ける人種、という意味ではない。

 

えてして目先の利益に目がいってしまう僕が、人生成功の為、この年の節目に降って湧いたように決意した長期的目標、それが貯蓄である。

 

2017年12月31日23時59分59秒の時点までに100万円を貯めようという趣きである。

 

パリピな僕でも長期的目標を達成できたという自信は、これからの人生にとって必ずや良い影響を与える事と確信している。

 

このブログはその過程を記すものであり、周りに宣言し、監視される事で、僕のパリピ力を抑制するという弱気な狙いも含まれている。

 

見事目標を達成し、有言実行のパリピになれるか、口だけパリピ略して口ピに堕ちるか、2017年は僕にとって大きな転機となるだろう。

 

現在貯蓄:0円